「ねぇ、見たかい? 王太子の顔。笑っちゃうよね」 第二王子であるミゼラルは、ゆったりと自室のソファに体を沈めながら、側近に素のままの笑みを向けた。「あれでミカエラへの想いを隠せているつもりなんだよ。馬鹿だよね」 その表情は酷く冷たくて醜悪だ。「あんなの、愛を知らない人間からしたら鼻についてたまらないよ。デレデレしちゃっているのが丸わかりだ」 赤い瞳を妙にぎらつかせた他人には見せない笑みを、側近には隠す必要はない。「あれじゃ殺すしかなくなっちゃったね」「どちらを、ですか?」「どっちも、だよ」 ミゼラルの側近であるパムは、悪魔だ。 茶色の髪と瞳という色を持った側近は、化けている。 ミゼラルの知る彼は、ただの黒いもやだ。 子どもの頃から見えていた黒いもやは、ミゼラルが成長するほどにきちんとした実体を見せ始め、16歳になるころには側近のパムとした彼の側に寄り添った。「どうやって殺すおつもりで?」「お前がどうにでもしてくれるだろう? 何しろ悪魔だもの」「ふふ。悪魔は万能ではありませんよ」 ミゼラルにとって、この世の中は面白いほど価値がない。 だからことごとく第一王子であるアイゼルに比べて劣る待遇であっても、いささかも気にならない。「僕は兄上にも、ミカエラにも、さして興味はないけれど。愛を知る人間って裂きたくなるんだよね」「ふふ。ミゼラルさまらしいですね」 ミゼラルは母マリアから愛された覚えも、父である国王に愛された覚えもない子どもだ。 どれだけ笑顔を向けても返されることのなかった子どもであったミゼラルは、愛することを止めたのだ。 赤子には見えていると言われている守護精霊を見た覚えなどミゼラルにはない。 気付いたときには黒いもやであるパムの姿が見えていた。「愛ってムカつくよね」「そうですね」 パムは静かに相槌をうちながら、薫り高い紅茶を入れている。「片思いやすれ違いは面白いけれど、成就した愛なんて甘ったるいものは嫌いだ」「そうですね。今回のことでミカエラ嬢の悲劇性が影をひそめてしまいましたね」 ミゼラルはコクリと頷いた。「あれはいただけない。ミカエラの魅力が台無しだ」「ですが、ミゼラルさま。アイゼルさまを殺してしまったら、ミゼラルさまが国王ということになりますよ」「そうか」 ミゼラルはガバッとソファから上半
この王国には、守護精霊が存在する。 確実に存在する。 それは愛の数だけ存在していて、ほとんどの人間には守護精霊がついている。 しかしその姿が人間の目に映ることは、滅多にない。「愛するだけではダメだよ」 守護精霊は囁く。 愛は与えるだけでなく受け取る必要もある。 人間の目に、愛は映らない。 だから愛を与えることは出来ても、受け取ることは時として難しいのだ。「子どもはお母さんとお父さんから愛されて生まれてくるよね」「いや、お父さんから愛されずに生まれる子もいるよ」「だったらお母さんの愛は絶対だね」「いや、もっと大きな欲があれば、愛は小さくなって欲の陰に隠れてしまうよ」 守護精霊の選んだ人間が、守護精霊を受け入れるためには、愛することも愛を受け入れることも必要だ。「赤ちゃんには守護精霊がついているのに、愛されていなかったら見えないね」「そうだね。見えないね」 愛されて生まれてきた子どもには守護精霊が見えている。 子どもは愛することを恐れないから、愛し愛され、守護精霊も容易に受け入れるのだ。 でもなかには生まれた時から守護精霊が見えない者もいる。 守護精霊が見える、見えないに爵位は関係ない。 立場を選ばずに、守護精霊の見えない赤子は存在する。「親が子どもをお金目当てで産んで、愛を与えられなかったら守護精霊は見えないね」「地位が目当てで愛を与えられなかった子どもも守護精霊はみえないね」 欲の陰に隠れた愛は無いのも同じ。 「王子や王女は赤子でも守護精霊が見えない者が多いよ」 自分の立場を確実なものとするために生まれた子どもには、守護精霊は見えない。「見えなくても見えたふりはできるよね」「守護精霊は他人からは見えないからね」 愛はおろかで儚く、駆け引きの材料にされやすい。「赤ちゃんの時から守護精霊が見えない子は、一生守護精霊を見ることは出来ないの?」「そんなことはないよ。愛し愛されれば見えるようになるよ」「愛を受け取ることも、愛を与えることも出来ない人は一生見えないんだね」 守護精霊が見えなくても生きてはいける。 しかし見えれば有利に生きることはできるのだ。「守護精霊はみんなについているの?」「みんなではないよ」「じゃあ、何にも守られていない子もいるんだね」「違うよ」 赤子の時から愛されることも、愛
ミカエラが副神官たちにより攫われたことは秘密だ。 だから粛々と行われた処罰は、それと分からない形で行われていった。 当事者であるミカエラも、知ることが出来ることもあれば、知ることのないこともあった。(副神官の処罰が、あのような形で行われるとは) ミカエラはブルリと震えた。「ん? 寒いのかい? 今日はどちらかといえば暑いと思うが」 アイゼルはミカエラの肩へそっと手を回して自分の方へ引き寄せた。 誘拐の一件以来、ミカエラと秘密の共有に成功したアイゼルは彼女との時間を増やした。 表向きには【婚約者がいるにもかかわらず下半身の軽い王太子】を【罰するため】の【教育的な指導として婚約者と触れ合う時間を増やす】ということになっている。 だがその実情は普通の恋人たちがするようなデートと変わらない。 今日はそんな【懲罰的デート】の日である。 ミカエラとアイゼルの2人は王城の庭園を散歩していた。 ミカエラの後ろには白い日傘を差し出す侍女ルディアの姿もある。 彼らの周囲には護衛もしっかり配置されていた。 この国は陰謀に満ちている。 発覚した陰謀の全てを知り、その処分の行く末の全てを把握している者などいない。 それでも時は過ぎていき、王国の歴史は刻一刻と新しく刻まれていく。「ミカエラ? どうかしたの?」 美しい王子さまが彼女を覗き込む。「いえ、何でもありません」 笑顔でそう返事をしたミカエラ自身が、その言葉は嘘だと知っている。 真実を教えられた後も、ミカエラのなかには漠然とした不安があり、それは消えない。(わたくしは、どこへ流れていくのかしら?) その答えを知る者はない。
副神官は手足を拘束され、猿ぐつわをはめられた状態で輿に乗せられた。 輿には薄絹のカーテンが掛けられ、その外側にはジャラジャラとした飾りが下げられた。 綺麗に飾り立てられた輿は、中からは外が良く見えるが、外からは中が暗く影になっていて見えない。 神殿の外には神官が命ある身を生きたまま神に捧げる尊い儀式が行われるとの噂を聞きつけた民衆が集まっていた。「副神官さまだー」「みずから神の近くへ行かれるとはっ」「素晴らしい神官さまだー」「ありがたい」「ありがたい」(なんのことだ⁉ 私はそんなことを承知していない) 輿の中で暴れようとした副神官だったが、手足を拘束された上、拘束具から繋がる鎖の先を輿の内部にガッチリとくくりつけられていて逃れられない。 バタバタと暴れたところで、その不穏な物音は民衆の歓声に呑まれて消えた。 叫ぼうにも口には猿ぐつわを嵌められていて声など出せない。(私はどこへ⁉) 副神官の動揺など全く関心のない輿の担ぎ手たちは、粛々と目的地目指して進んでいく。 輿を見守る民の目は爛々と輝いていて、それは狂気すら感じさせる信心だった。(どういうことだ⁉ 私を称えるなら、私を助けろ!) いっそう高い歓声が上がる。 建物も揺るがす大きな声で、副神官の乗る輿もガタガタと揺れた。「おお。輿が建物にはいるぞ!」「神殿の奥だ!」「神に最も近い場所だ!」「素晴らしい! 副神官さま! 忘れません! 我々はあなたの尊い偉業を忘れません!」「ああ、忘れませんとも!!!」「副神官さまー!」(助けろ! 私を助けろ!!!) 副神官の想いは空しく、口々に褒め称え歓声を上げる群衆たちに見送られて輿は建物の内部へと入っていく。(助けろ! 私を助けろっ! 助けてくれぇぇぇぇぇ!) 副神官も、その話は知っていた。 神のみ元へ生きたまま昇るという尊い儀式の噂は聞いていたし、実際に実行されたところを見たこともある。 副神官自身、建物の外にいる民衆のように歓声を上げ、感動の涙を流して輿を見送ったことがある。(あれが……処罰の方法だったと⁉ そんな話は噂にも聞いたことがないっ!) 争い絶えず権力のバランスをとるのが難しい国にあって、全ての事実を下々の者が全て知ることはない。(だが私は副神官だぞ⁉ そこまで出世したというのに……その私が、こんな
副神官たちへの処分は速やかに決められた。 名も無き者たちは罪状すら公表されることなく絞首刑となり、下層の貴族たちも処刑された。 それぞれの家は、もっともらしい理由をつけて潰された。 男爵、子爵程度であれば簡単に切り捨てられるが、それ以上の立場となると扱いが難しい。 当事者だけを処刑させて難を逃れようとする家もあれば、政治的な取引で我が子を助けようとする家もある。 それらを細かく処理したうえで、副神官の処分は決められた。「どうして私が処刑されなければならないのですか、大神官さまっ!」 副神官は大きな机をバシンと叩いて叫んだ。 大神官は自分の机の前に座り、激高する副神官を見上げた。 灰色の髪を振り乱して叫ぶ副神官の姿は醜い。 大神官は形のよい金色の眉を不機嫌そうに跳ね上げた。「君は王太子殿下に現場をおさえられたのだよ? 言い訳のしようもないではないか」「ですが、私は神官です。しかも副神官まで上り詰めた神官です。その私がっ! 他の者たちと同じように処分されるのは納得できませんっ」 副神官の身勝手な言い分に、大神官は溜息をついて右手で額のあたりを包んだ。「我ら神官は特別な立場ではないと、私は何度も言ったはずだ」「あれは下級神官の引き締めを促すための言葉でしょう⁉ あなたに次ぐ立場である副神官の私に当てはまるはずがないっ!!!」 副神官の醜い申し開きは続く。 大神官は再び溜息を吐いた。 ミカエラ誘拐の現場へ王太子に踏み込まれたというのに、副神官の往生際は悪かった。「君はね、副神官。王太子婚約者の誘拐という大罪を犯したのだよ? 罪を不問に付されると思ったのかね? どうしたらそんな思い違いができるのか……」「だってあの女は、たかだか伯爵家の娘ではありませんかっ。しかもあの家はいわくつきの家です。あの家の娘を守ることのほうが、私の命よりも価値があると⁉」 どう説明したら納得してもらえるのか? 大神官は、そんなことに悩むこともバカらしくなった。「あの家のことも、異能のことも、君には説明したと思うけれど」「それは聞きましたけれど……」 副神官はモゴモゴと不満げな言葉を口の中で転がしている。(長年の修行とはなんだったのか? コイツは何1つ分かってない) 大神官は部下であり弟子でもある副神官を青い瞳で冷たく見つめた。
ミカエラを誘拐した者たちは捕まった。「とはいえ、副神官が関わっていた、となると表立って処罰するのも都合が悪い」 国王は政治に敏感だった。「私としては、ミカエラを誘拐した者たちは厳しく罰して欲しいのですが」 アイゼルが厳しい声で迫ると、国王は諭すように言う。「だがな、アイゼル。厳しく罰すれば【ミカエラが誘拐されたこと】が周りに知られてしまう。それは【ミカエラを誘拐すればお前にダメージを与えることができる】と周りに知らせるのと同じことだ」「……ッ……」 父に指摘されて、アイゼルは唇を噛んだ。「冷たくしてまで守りたかったミカエラを、守ることができなかった無念は分かるが。幸い、今回は怪我ひとつなく救い出すことができた。だが、彼女がお前の弱点であると知れ渡ってしまえばそうはいかないだろう」「……はい」 アイゼルも充分に承知していることではあったが、罰したい気持ちは消えてはくれない。(愛を囁きたい気持ちを我慢してまで守っていたものを攫われて……はらわたが煮えくり返っているのに。この気持ちをそのままアイツらにぶつけることすら叶わないとは!) 息子の様子を眺めていた国王はフフッと笑った。「なに、表立って罰する必要はない。罰し方などいくらでもある」 その声はひどく冷たかった。 「お前はまだ若い。儂のやり方を見て覚えなさい」「はい、父上」 アイゼルは冷たく光る父の目を、復讐に燃える瞳で見返した。